野崎まどのこれまでの作品がすべて「1」として成り立っており、この「2」に集約されているという凄さに戦慄した。
特定の映画を観るためだけに自分の子供を育てた、最中と誤認させるために最中の友達の理桜(パーフェクトフレンドに通じる)と暮らしていた、主人公である「数多一人」は二見遭一が演じていた役である、人の心を読むもの(舞面真面とお面の女に通じる)への対抗策として心の中でも演技を続けてきた、死んだと思われた最原最早は彼女自身の人格を映す映画(アムリタに通じる)を使って不死の友達(死なない生徒殺人事件に通じる)が成り代わっていたものだった、御島鋳こそが最原最早であり、彼女は一人で子供を育て「神様」にしていた、最中が神様になれずに天使になるのは想定済みで神様と天使の映画を撮ることが最終目的だった、とどんでん返しの目白押し。最原最早がそうであるように、野崎まどもまた天才なのだと実感させられた。こんな素晴らしい作品に出会えたことを本当に幸せに思う。
★★★★★(5)